お恥ずかしいのですが、
今日、僕はみんなの前で屁をこきました。

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音はご想像にお任せします。
6人ほどのグループでワークをしていたので、静かな状況での屁はみんなの耳に届いたようで、冷たい視線を浴びました。
- 人前で屁をこくなんて最低!
- えっ!オナラした!?冗談でしょ!
- マジかよあいつ!俺は我慢してるのに!
と言うような視線と共に、何とも恥ずかしい思いをしたのです。

すぐにこの場から立ち去りたい!
せめて臭いが充満する前に!!
不幸中の幸いで、臭いのない屁でしたので、皆さまにご迷惑をおかけすることはありませんでした。
それにしても、何とも恥ずかしい思いをしましたよ。
そして、家に帰ってまた屁をこきました。
近くにいたのは0歳の息子。
屁の音は聞こえているのですが、冷たい視線もなく、ただ音が聞こえたくらいの反応だったのです。
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すみません
この話はフィクションです。
みんなの前で屁はこいてませんw
何が言いたいかと言うと
出来事自体には何の意味もないのです。
しかし、出来事に対する意味付けに僕たちは反応をしているのです。
出来事は全てフラット!意味づけに反応しているだけ
屁の音はただの音です。
お尻からでた、ただの音です。
そんな音に対して、僕たちは反応している訳ではありません。
屁に対する意味づけに僕たちは反応しているのです。
- 人前で屁をこくものではない
- 屁は恥ずかしいものだ
などの意味づけがあり、それに反応しているだけです。
同じ音でも、椅子を引いた時に出る音には、屁のような反応をしません。
なぜなら、椅子を引いた時の音には、屁と同じ意味づけがされていません。
なので、いくら同じ音、同じボリューム、同じ人が椅子を引く音を発したとしても、非難の目にあうことはありません。
他の例をあげると、ヒゲを生やしている営業マンを見て、どのように感じますか?
- 身だしなみをちゃんとできない人はダメな人だ
- 営業マンがヒゲを生やすべきではない
などの反応をしてしまいませんか?
これも、普通に考えたら、唇の上から毛が出ているだけです。
なので、ヒゲを生やした営業マンがいても出来事としてはフラットなはずですが、ヒゲを生やした営業マンに対する意味づけが、解釈を生み出しているのです。
世の中の出来事は本来何の意味も持っていません。全てフラットです。
人が色々な意味づけをすることで、解釈が生まれ、反応しているに過ぎないのです。
もし、あなたが今、息苦しい世の中だと思っているなら、色々な出来事に対してそう感じている訳ではないのです。
出来事に対する意味づけに息苦しさを感じています。
だとしたら、世の中の出来事はコントロールすることはできませんが、起る出来事を良い解釈ができるように意味づけを変化してみませんか。
それだけで世界が大きく変わりますよ!
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